これまで37年の人生において、度々起きていた現象があります。
それは、何かにトライしよう!新しいステージに進もう!と決めたり、やる気が出たり、本気になったり、はたまたチャンスを与えられると、途端に
のような現象。
示し合わせたように、出鼻をくじかれるような現象が起きたり、甘い誘惑が香るのです。
私自身の実人生においては、勤めていた会社で上級部署に配属してもらったとき、責任者に任命された時、本気で何かの勉強をはじめた時などに、こういった事柄のどれか(あるいは複数が)起こることが間々ありました。
成熟された方であればスルリを交わしたり、上手く立ち回ったり、自制やコントロールも効くのでしょうが、未熟な私はそういったことが起こる度に「こんな時に〇〇になってしまう私はなんて可哀そうな運命なのでしょう」と悲劇のヒロインになり、誘惑に惑わされ、本来の目的へのエネルギー出力が疎かになるのでした…
そういったご経験をなさったことのある方、実はいらっしゃるのではないでしょうか?
37歳になった今でこそ冷静に、俯瞰的に取捨選択や優先順位の明確化ができるようになったのですが、10代、20代の頃は「外的出来事」に振り回される人生を歩んでおりました。
それ故に「人生に抗う術はなし」という価値観を持つことになるのですが、そんな自分に決別しようと世界を広げ、学び、実践し、メンタルコーチとして沢山の方のコーチングをさせていただき、企業でも契約コーチとして携わらせていただくようになってから感じたのは、ただただこれ。
「意思確認をされている」
「覚悟を問われている」
のだなと、ということ。
何に問われているのか?と言うと、宇宙、天、運命、神様、大いなるもの、守護霊、ご先祖様…など言い方は何でもいいのですが、自分の顕在意識やパターン、常識や前提を大きく超えたものだとご理解ください。
そういった表現が苦手!という方は、『規模の大きな恒常性』と解釈していただければよいかと思います。
生体がさまざまな環境の変化に対応して内部状態を一定に保って生存を維持する現象。
平成最後の年にも、目には見えない流れや計画された偶然というものは、そこかしこにあるものです。また、多くの経営者さんからもそのようなお話をお伺いし続けております。
最近では、そういった出来事に遭遇するたび、
「試されているんだな」
「本気度を知りたいらしい」
「新しいステージの扉が開く前触れか」
「はい来ました、小テスト」
と解釈をし、さっさと解決策を練っています。解決こそ出来なくても共存できればそれでいいし、なんなら「保留」でもいい。
そして、それをクリアしようとする心構えになったり、今出来ることに取り組みだすだけでスッと道が開かれたり、阻んでいたものが消えたり、体調が回復したり…なんてことも多々あります。
要は意味づけ一つ、解釈一つで、物事はどうとでも転がっていくということ。
悲劇のヒロイン時代の私には、決して見れない景色だと思います。
本気で転職を考えだす際、ポジティブなエネルギーが起点になっている方もいるでしょう。
次の職場でスキルアップしたいとか、興味のある業界に入りたいとか、確固たる目的や意図があり、ワクワクと内側から意思が漲っているような方。
けれども、時にはポジティブでない理由からのスタートもあるでしょう。
今の職場が理不尽すぎるとか、今の上司にはついていけないだとか…
もちろん、それらの気持ちに優劣はなく、正解・不正解もないのですが、ただ一つ、共通して言えるのは「今のデシジョンが、ベストなデシジョン」であると認めることだと思います。
デシジョンとは、決定、決心、判断のこと。
納得していようがそうでなかろうが、状況は今後も刻一刻と変わっていくわけで、その中でその時々に下したデシジョンはその時のベスト。
状況が変わった上で下す、あるいは新たに下すデシジョンもまたベスト。
この先々では今のデシジョンを覆すようなことも当然あるでしょうが、それもその時のベスト。
…私はこの言葉を人生の大先輩からいただいたのですが、それからというもの、どこか「腹が決まった」感覚があります。
また、「if」に囚われることもなくなりました。
きっと誰の元にも障壁や誘惑はやってくるのしょうが、後悔しない仕事選びのためにも、後悔しないワークライフのためにも、「今のデシジョンが、ベストなデシジョン」と考えてみましょう。
自分で下したデシジョンであれば、その後の展開にもしっかり対応していけるはずだから。