人は誰しも「持てる能力の9割を眠らせている」という説があります。
それを聞くと平々凡々と流れるこの毎日にも勇気が湧いてくる気がするのですが、「大概の人は持てる能力の9割を眠らせたまま今世を終えている」ということを指す言葉と考えるとゾッとしなくもない…
しかし、そんな潜在能力を1割以上、いや、たった数パーセントだけでも目覚めさせることが出来るとしたら、人生は劇的に変わるような予感がしています。
いや、予感なんて生ぬるい言葉ではなく、今こそ意図的に目覚めさせ、眠る能力を覚醒させたいと望んでいます。
なぜなら、好きなお仕事をするにも、お仕事で輝くにも、私たちは時間を味方につけないとならないし、どうでもいい場所を逡巡している暇などないのだから。
私たちは生きていく上で、様々な事象の影響を受けています。
流行りやニュース、人間関係や職場、果ては季節や気候、地球の自転から。
それらは敢えて追い求めなくても“あちら”から勝手にやってくるし、時には情報が有り余りすぎて胃もたれすることも。
そんな中にあっても、外的な何かに影響を受けること自体は、私は個人的に一切問題がないと思っています。
それだけスペースがあるとか、柔軟だとも言えるから。
けれども影響を受けた結果、他責や自責、後悔することが多いのであれば話は別。
うかうかと影響を受けている場合ではないし、むやみやたらに飲み込み、溶け込んでいる場合でもありません。
自分の中に入ってくる情報、入ってこうようとする情報は心と知性とで吟味し、時に保留しながら一つ一つ選び取る必要があります。
会社の上司、先輩の言葉も上に同じ。
「郷に入っては郷に従え」ではあるし、方法や順序、スキルを含め学ぶべき部分は学び、助言金言は多少耳が痛くても受け取るべきだけれども、だからといってノーセキュリティで全てを飲み込むのも考えもの。
思考停止に慣れてしまうと、いつしか自分で考えられない人になってしまうから。
そして、心の声を失ってしまうのと正比例するように、潜在能力は必要最低限だけを残して閉じてしまうことにも繋がっていきます。
過度な情報、そこから成される自責や他責、しなくてもよい後悔から距離をとってくれるのは、ズバリ!客観性と冷静さの二つとなります。
しかし、何かにつけて情報に晒され続ける毎日の中で、お仕事をする上では時に様々な人と密に接し、望む望まぬを問わず絶えず影響を与え合う毎日の中で、客観性と冷静さを持つためにはどうしたら良いでしょう?
そのためには、“ある一つのイメージ”を自分の中に持つことが大切です。
私たちは、「自分」というものを世界の中心に置き、その周りに縄張りのようなものを円形に作っています。縄張りとは何かというと、家族や友達、家や車、よく行くカフェや馴染みのある音楽など、所有するもの・条件・環境・経験のこと。
そして、その先に一般社会(世界)を配置しています。
この“円”を元に考えると、世界像の主人(中心)は自分に他ならないので、手に入っているものは全て自分の所有物となり、手に入っていないものはどうにかして手に入れ、在りし日に夢見た“円形”にすべく、持てる力を費やしていくことになります。
が、実際の世界は広く深く、複雑にして無常で、意のままにならないことも多いもの。
そんな時に「世界像の主人(中心)たる自分」という視点しか持ち合わせないと、すぐに枯渇し、高い壁に行く手を阻まれることも。
よって、時には自我を捨て、物事をありのままにフラットに、ありのままを見てみること。
職場の人間関係にしても、不本意な移動にしても、新しい職との出逢いにしても、「自分」を消し、「自我」を消し、ただの一傍観者となることで見えてくることって沢山あるかから。
そしてもっと言ってしまうと、「今の自分が持ち得る能力、環境」と「与えられている客観的な状況、状態」と冷静に見つめれば、選びえる最良の選択というのは実は既に決まっている場合もあるのだから。
そんな毎日の中にあって、お仕事に就き、プロとして業務や職務に携わっていくためには、やはり意識的に自主的に自分を守り、上げることもとても大切な要素となります。
例えば、
などもそう。
無意識に流されず、「自主的に自分を守る」という観点を取り入れてみる。
また、
など、「積極的に自分を上げる」ことも大切。
良い予感も悪い予感も、良い暗示も悪い暗示も、不思議と自分が信じた分だけの効力を発揮します。
だからこそ、自分のマネジメントは自分でする必要があるし、誰かにヘルプを頼むことがあるにせよ、マイナス要因は可能な限り自分で取り除いておくこと。
お仕事に携わる毎日は、もっと良い方向に進むに決まっているのだから、まずは私たちの気概、意識を明確に持ちましょう。
これからのお仕事で後悔することがないように。
願わくば、後悔の“こ”の字が自分の辞書から消える、そんなワークライフになるように。